「凝集力」から見るアイドルグループ −生田絵梨花と工藤遥の比較でわかること

はじめに

 異なるアイドルグループどうしを比較するとき、僕が重要だと考える要素に「凝集力」というものがあります。これは何かといいますと、ようするに「グループがどれだけまとまっているか」を示す基準であって、この「凝集力」は様々な面でそのグループの性格となって表れます。

 

 今回のブログでは、この「凝集力」について、それがどのように生まれ、そしてどのように発揮されるか、について考察し、その中で、生田絵梨花(乃木坂46)と工藤遥(モーニング娘。'17)をめぐるそれぞれのグループの動きの比較を例にとって、乃木坂46というグループの性格について分析してみたいと思います。

 f:id:pureporu46:20170907210724j:image

凝集力とはなにか

 最初に「凝集力」について、もう少し明らかにしなくてはなりません。

 凝集力というのは、あるグループがどれだけまとまっているかを示す基準であると述べましたが、これは見方を変えると、そのグループがそれを構成する各個人についてどれほどの影響力を有するかを示している、とも言うことができます。ここには"個人と集団"という対比を見出すことができるのではないでしょうか。凝集力が高ければ高いほど、集団としてのまとまりは強固なものとなり、反対に個性というものは抑制される。逆に低ければ低いほど、個性が立ち、反対に集団としてのまとまりは弱くなる。

 f:id:pureporu46:20170907211011j:image

凝集力はいかに構成されるか

 それでは、凝集力を左右する要因にはどのようなものが考えられるでしょうか。ここでは4つの項目に注目しようと思います。まずは①グループの構成人数。次に②共有した経験値。それから③統一された目標。そして最後に④束縛/自由度。それぞれどういうことか説明していきます。

 

 グループの人数については、単純に、構成人数が多いほどグループとしてまとまりにくいことは明らかでしょう。特に大人数グループの場合は、実際の活動に際してどのように分割され、そしてお互いにどれほど交流しているか、について検討することも必要かもしれません。なぜならそういったグループの場合は、常日頃から全員で活動するということはほとんどなく、いくつかのチームやユニットという単位で分割されて活動することが普通だからです。そこで、たとえば分割されたユニットどうしの垣根の低さ、つまり両者の間でどれだけ流動的にメンバーが入れ替わるか、というのも交流の具合を測る指標となりうるでしょう。

 

 共有した経験値というのは、上述のユニットごとの交流という点とも関連する項目です。どれだけ多く長く濃く同じグループの構成員として経験を共有し、困難を乗り越え、喜びを分かち合い、悲しみや辛さと向き合ったか、ということです。グループ全体での活動の頻度や量は、たとえばライブなどの回数からも分かりますし、活動年数なども大いに関係するでしょう。これらは、自分が構成員としてグループにどれだけ関与することができているか、という自覚につながります。また他にも、オフのプライベートの時間の共有というのも重要な要素かもしれません。

 

 統一された目標というのは、グループとして目的意識や目標が統一されているほどまとまりが強くなることを示しています。CDの売り上げ枚数や、ライブ会場のキャパ、有名な番組への出演、オリコンや音楽賞などの記録、知名度や人気、その他あらゆる指標が目標となるでしょうが、それが統一されている方が、グループの構成員として「何をがんばるか」を意識しやすく、ゆえに結束も固くなるでしょう。別の言い方をすれば、自分たちの立ち位置に関する理解の共有と言うことができるかもしれません。グループとしてこれまでに何を達成し、これから何を達成したいのか、という俯瞰的な動きを把握できているかということです。

 

 束縛/自由度というのは、アイドルグループの運営陣(あるいは内部の構成員どうし)がどれだけキツく構成員を束縛しているかということで、規則の厳しさや、個人仕事(グループの一員としてではなく、個性に起因する仕事)への意欲(寛容度)などの要素から見ることができるでしょう。束縛度が高いほど(自由度が低いほど)当然、グループとしてのまとまりは強固になる。

 

 以上のことからも分かるように、凝集力というのは固定されたものではなく、あらゆる要素に応じて常に変化していくものです。したがって、同じアイドルグループについてであっても、時期によって凝集力は異なりますし、その発揮のされ方も違うでしょう。

 f:id:pureporu46:20170907211040j:image

凝集力はいかに発揮されるか

 実際に、凝集力はどのように発揮されるでしょうか。①活動内容と②その質、③構成員の入れ替わり、そして④ファン層の計4つのポイントに着目します。

 

 まず凝集力が高いグループはそれだけ活動内容が固定化されます。グループとしてやることが決まっていたり、方向性が定まっているために、ライブが多いとか、なにかしら活動の軸が定まっている場合が多いからです。そういったグループにおいては、個よりも集団が優先される傾向が強いため、個人の外仕事は比較的少ないと言えるでしょう。

 

 次に質についても、凝集力が高ければ、それだけ練習の時間や質が確保されますし、実践の機会も多くなりますから、上がるでしょう。凝集力の低いグループで、各構成員のやりたいことが異なり、それを束縛する規則も空気感もゆるければ、それだけ特定の活動についてグループとしての質を確保することが難しくなるというのは容易に想像がつくはずです。

 

 構成員の変化、とくに卒業というのも凝集力の高低が大いに影響する場面であると言えます。凝集力が高いと、それだけ結束が固く、したがって卒業しにくいかと考えがちですが、実はそうではない。むしろ、凝集力が高いとそれだけ異質な存在に対する寛容さが失われるので、ひとたび逸れてしまったときに元に戻りにくいのです。つまり、凝集力の高いグループに在籍する場合、個人は集団に合わせなければならず、それをしたくなくなったら卒業しか選択肢がないのです。

 

 凝集力の高いグループと低いグループとでは、ファン層にも違いが現れるものです。アイドルオタクに関して、グループの中で特定のメンバーを推していることを「単推し」、グループ全体を推していることを「箱推し」と言いますが、凝集力の低いグループのオタクは「単推し」、高いグループのオタクは「箱推し」の傾向が強くなるのではないかと考えられます。これは、グループとして、集団に対してどれだけ個を重要視しているかが関わっています。したがって、たとえ「箱推し」とまで言えなくとも、凝集力が高いグループでは、推し以外のメンバーについての関心度も総じて高いと思われます。逆に、たとえば大人数グループで凝集力が低いと、ほとんど関心がなかったりすることが多々あります。なぜならば、オタクにとってみれば、凝集力の高いグループはその全ての構成員が互いに強く関連しあっていて、良くも悪くも無視できないのに対して、凝集力の低いグループでは、構成員どうしの関連性が低く、無視できるからです。

 f:id:pureporu46:20170907211226j:image

乃木坂46の凝集力

 凝集力の高低は、グループの良し悪しやその人気とは比例しません。秋元康氏プロデュースの大人数アイドルグループ、中でも乃木坂46はそのことを示す模範的な例だと言えるでしょう。なぜなら、乃木坂46は数あるアイドルグループの中でも突出して凝集力が低く、それでいて同時にそれを武器として今日の国民的な人気を獲得するに至ったグループだと解釈することができるからです。

 ライブは少なく、48グループのように専用の劇場も持たない。活動にも統一性がありません。「乃木坂らしさ」の答えが見つからない、というのは乃木坂46がこれまで向き合ってきたグループの特徴です。それはある種の欠点であり、克服すべき点であるかのように言われることもあります。

 しかしながら、実はそうではない。キャプテンの桜井玲香ちゃんも今年の7月3日に発売された『別冊カドカワ 総力特集乃木坂46 vol.4』のソロインタビューの中で

『(略)一言で言えるようなグループというのもつまらないのかなって。

 だって、もともと"色がないグループ"になりたいですと言っていたので、最初の頃の私たち。それでいいんですよ。6年目にしてそう強く思えました』(p.25)

 と述べており、これはまさに凝集力の低さを指しているわけです。そして、それが強味であることを理解した発言なのです。

 凝集力の低さゆえグループとしてのパフォーマンスのスキルはあまり高くないかもしれない。もちろん弱点はあります。しかし、凝集力が低いグループであるからこそ、幅広い分野に個々のメンバーが進出することができ、それだけ裾野を広げることができる。アイドルという枠を超えた個々人の活躍が可能となっているのです。

f:id:pureporu46:20170907211117j:image 

生田絵梨花工藤遥の比較にみるグループの凝集力の違い

 そしてその特徴を最も力強く体現するメンバーの1人が生田絵梨花ではないでしょうか。"ロミジュリ"や"レミゼ"といった名だたる著名ミュージカル作品への出演や、女優としての岩谷時子賞の奨励賞の獲得など、その活躍はめざましいものです。そして、これだけ"個"として活躍していながら、いまなおグループに居残っていることは非常に象徴的です。

 そして、生田絵梨花を思うとき、僕はモーニング娘。'17の工藤遥(くどう はるか)のことを同時に思うのです。なぜならば、この2人は凝集力に起因する2つのグループの性格の違いをこれでもかと言うほど分かりやすく示しているからです。

  工藤遥は今秋でもってモーニング娘。を卒業します。その卒業理由は女優を目指すため。モーニング娘。は凝集力の高いグループですから、彼女に女優になりたいという夢ができた時点で、卒業は半ば必然なのです。凝集力の高さにも起因するパフォーマンススキルの高さや、グループとしての統一性などの要素は確かに強味でしょう。しかしながら、あるいは、だからこそ工藤遥は卒業しなければならない。彼女の境遇もまた、モーニング娘。というグループの凝集力を体現しているのです。

 f:id:pureporu46:20170907211040j:image

おわりに

 ここまで長くなりましたが、僕が言いたいのは、凝集力が高いグループが良いとか、低いグループが良いとか、そんなことではなく、それぞれに違った良さがあり、その違いを把握しないとその動きを見誤るよ、ということです。すでに述べたように、凝集力というのは常に変化します。乃木坂46だって、東京ドームという1つ大きな目標を達成したら間違いなく変化が起きるでしょう。3期生がグループの中にどのような交流を生むかも楽しみです。これから、アイドルグループを見るときに「凝集力」という視点を持ってみるのも面白いのではないでしょうか。